本家浜口福月堂五代記

 初代重太郎は明治維新後帯刀を捨て野根の郷にて菓子屋を創業。明治後期二代目安太郎により菓子名舗の磐石を築く。往時は野根から室戸岬へ向う海岸は飛び石、跳ね石、ごろごろ石と云われる大小の岩が連なる険しい磯伝いであった。菓子行商の折、安太郎がこの淀ヶ磯を天秤棒担ぎ、器用に岩から岩へ飛び移る姿はこの地方の風物詩であったと云う。また、菓子作りの才たけていたが、天の悪戯か早世。三代目赳が若干十五歳の時である。安太郎死を予期していたのか赳に秘伝書を書き残す。三代目赳はこの書を基に試行錯誤する事数年、菓子作りに励む。戦中戦後の一時期、原材料の入手難によって一時休業の止むなくに至るが、昭和二十三年再び菓子作りに研鑚。昭和25年昭和天皇陛下が土佐路ご巡拝の折室戸岬山田邸において、献上の栄を賜る。以来、義宮様、清宮様を始め皇族の方々のご巡遊の折々、風流お茶受け菓子としてご愛顧賜るまでの銘菓となる。
 四代目匡男は昭和39年高知市に進出。頑なに貫く伝来の素朴な味と心を堅持し販路を拡大。そして伸二五代目を継承、平成10年製造直売の桂浜花街道店を出店。明治時代から「野根まんじゅう」を作りつづけている唯一の店として、老舗気質の粋を守っている。
 野ねまんじゅう類似品について
お客様へのおことわり
「野根まんじゅう」は、浜口福月堂の登録商標ですが、他社より同一類似商品が出ておりますので、お買い求めの際は、お手数ですが、「浜口福月堂の野根まんじゅう」とご用命ください。  また、「元祖」、「総本家」等を銘打っているところがございますが、当家が「元祖」より新しいとか、「総本家」の分家だとかいったことはござません。浜口福月堂は唯一、野根において明治時代から続いている菓子屋です。

初代 重太郎
野根の里に菓子屋を創業

二代目 安太郎
菓子名舗の磐石を築く

三代目 赳
秘伝書を基に菓子作りに励む
昭和25年、天皇陛下ご巡幸の折、
献上の栄を賜る

四代目 匡男
昭和39年、高知市に出店
販路を拡大

五代目 伸二
現在、明治時代からの老舗気質の
粋を守り変わらぬ味を守りつづけている
http://www.nonemanjyu.com
アドレス変わりました。お手数ですが訂正お願いいたします。
| トップ | 野根まんの由来 | いらっしゃいませ | 作っているところ | ちょっと一服(野根編) | ちょっと一服(桂浜編) |
通信販売法に基づく表記 | 送料について | お支払い、返品交換について | リンク集 |